2014年01月20日

デリダ〜脱構築で教育ババアを黙らせよう〜

デリダ

キーワード:

脱構築


使用例:

教育ババア「ぼっちゃま、あの地区に住む子どもと遊んではいけません!」

脱構築ぼっちゃん「なあじぶん、なんであかんの?」

教育ババア「あそこは貧しい方たちが暮らしています。貧しい人に悪い人が多いのは事実です」

脱構築ぼっちゃん「それ事実や言うけどな、悪いことと貧しいことは一緒じゃないやんか。それに土地と悪いことも貧しいことも一緒やない。たとえばな、あの地区のガキどもは警察に目ぇつけられるから悪いことがよくバレるだけでな、こっちの地区のガキどものが腹も減ってねぇのによっぽど悪いことしてるんだぜ。かくいうあんたもうちの親父と…」

教育ババア「もうやめてぇええええ!」

脱構築ぼっちゃん「脱構築…完了やで」


⇒脱構築とは、「AはBである」という常識があれば、それは偶然や思い込みで「必ずしもAはBでない」という論理戦略のことを言う。たとえばナチス政権下では「すべてのユダヤ人は悪だ」といわれていたが、無論そんなことはない。そういう反論のときにこの脱構築という論法は強い。今で言えば「韓国人は悪い」が似た問題だろうか。アメリカも北朝鮮もお互いに「自分の正義」のために戦っているのは間違いない。どちらの正義が正しいかなんて神様しかしらないことなのだ。だから正義も悪もない。しかし人はどちらが正義でどちらが悪か決めなくては行動できない。だからデリダは「決断は狂気である(論理的な決断は不可能だ)」と繰り返す。大切なのは自分が正義だと信じることではなく、「自分の正義は悪の犠牲の上で成り立つ」というもう一方を責めることへの責任を考慮することだとデリダは語る。ただデリダ自身は論文で「脱構築」なんて言ったことはない。二つ名というやつか。




posted by あいにゃん at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | デリダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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